もっと 幸せになろう

もっと幸せになると決めてから 今まで自分の中で受け止めきれなかったことを 書いておこうと思います。

厳しかった現実

忌引き休暇も終わり 会社へ出勤。

会社には 脳梗塞ということに。事実を知る人はいません。

いろいろ手続きを進める中、私名義の借金もあった。

弁護士さんからは 免責を受けるように勧められました。

『父が遊んで作った借金じゃないし、これ以上 いろんな人に迷惑をかけるわけにはいかへん。だから 払っていきます。』と言いました。

弁護士さんは 『これからあなたのお給料でお母さんと二人 生きていかないとあかん。貯金も全くないのに どうやって生きていくの。』 と。

おっしゃるとおり、私 貯金も両親に渡してたので 貯金もなし。

私が渡したお金も お店のやりくりに使ってしまってました。

店を存続させようと 二人 必死だったんだと思います。

 

そして弁護士さんの言うように、私も免責 受けました。

いわゆる ブラックリストです。

クレジットカードも無くなりました。ローンも組めない。

 7年くらいは 何もできないと言われました。

あと 職業としては 弁護士と裁判官と 人の財産を管理する仕事にはつけないと。

どれも しないけどね。というか できないけどね。

 

父と母と3人で暮らしてた家も 無くなりました。

母は 私が借りていた 2LDKのハイツに引っ越してきました。

別に肩身が狭いとかも思ったことはありません。

 

ただ 生きてていいのか、生きることを望んでいいのか。

幸せになんてなれない。なっちゃいけない。望んではいけない。

そう思って 生かされてきました。

 死ぬのは怖くない。むしろ父のもとに行けるのなら その方がいい。

 

そしてしばらく経ったある日 仏壇の中を整理していたら

手紙のようなものが出てきた。

父の殴り書きのようなもの。

そこには 『生きたい!』という父の叫び、死にたくないという思い。

私たち家族に 申し訳ないという思い、母への感謝が 書かれてました。

 

あとは 私の名前が何度も何度も・・・。

父がつけてくれた私の名前が、まるで父が呼んでるかのように。

何度も何度も・・・。

自慢の娘とも。

そして 『頑張って生きろ!』と。『しっかり生きろ!』と。

私が 生きることを望んでる人がいる。

私に 生きろ!と いう人がいる。生きてなんていたくないのに。

生きることを望んでる人がいる。

でも ほんまに生きてていいのかな。

父 独り 死なせておいて 生き続けるって。

生きてていいの?生きなあかんの?という思いで いっぱいいっぱいになりました。

 

父が望んだように 父の保険金で 私と母は今までどおり

3人で暮らしてた桜の木のある家で暮らしてはいけない。

家はもうない。

そして 母は破産。私も免責を受ける。

親戚にもさんざん迷惑をかけたので 厄介払いされた感じ。

疎遠にもなりました。

 

父が思ってたのとは 全然 違う現実。

 

それでも 生きなければいけないの?

 

 

現実

19日 お通夜。

家族だけの密葬でした。

お金が絡むと兄弟も 揉めるんですね。

母からは 父が兄弟のところにも お金を借りに行ったと聞かされてました。

正確には お兄さん、お姉さんです。

弟は一緒に働いてましたので。

そのお兄さんたちに 虫けら、ゴキブリ扱いされたと言ってました。

弟夫婦からは 未払いの給料のことも言われました。

母は 父の兄弟たちとは 関わりたくないので 話さず、

私が話しを聞くことに。

そして その際 今もお世話になってるUさんが来てくれた。

Uさんに母が 父が死んで 借金が帳消しになって保険金で生きていくみたいなことを話すと Uさんから驚きの返答が・・。

『そんなに簡単なことじゃない。死んだからって借金は帳消しにはならへんで。すぐに弁護士に入ってもらって処理せなあかんよ。』と。

そう。世の中はそんなに甘くない。

死んだからって 何も終わらない。終わらせては くれない。

母に聞くと 街金のようなところからも お金を借りてると。

Uさんは すぐに いい弁護士を手配してもらうから、葬儀が終わったら 家に帰らずそのままどこかに行った方がいいとアドバイスをしてくれました。

お通夜でしたが 母の妹たちにその場をお願いして いったん家に戻り、着替えを取り、お世話になってる近所の方に 父が死んだこと、しばらく家をあけること、もしかしたら 誰かが訪ねてきて 迷惑をかけるかも知れないことを伝えて また 葬儀場へ戻りました。

翌日 葬儀の途中 弁護士の先生に連絡を取り(なかなか連絡が取れなかったけど)、この後の指示をもらいました。

やはり、葬儀後 自宅には 戻らないで、そのまま大阪市内へ出て 翌日の朝いちばんに 事務所に来なさいということでした。

葬儀後 お寺さんに 事情を説明し、必ず何年後かに遺骨をきちんとするので 預かっててもらえるようにお願いし、そのまま 夜逃げ同然のように大阪市内のホテルに泊まりました。(後になって お寺さんは あんな夜逃げ同然に 遺骨も預けていったのは 後にも先にもはじめてやったわと笑い話にしてくれてました)

 

21日。弁護士事務所に行って 弁護士さんにいろいろと説明中、父の携帯が鳴る。

20日の支払いは しなくていいと弁護士に言われたので、入金がない取引先の会社の人たちからの電話。

父が死んだこと、弁護士から後日 連絡が行くことを それぞれに説明していく。

父の未払いのせいで 連鎖倒産する会社も出てくるかも知れない。

でも そんなことは言ってられない。

ただただ お世話になってきた おじさんたちには 申し訳ない。 

けっきょくは 母が 全て相続し、私や父の兄弟 全ての人たちに遺産放棄の手続きをしてもらい、母は 破産宣告する。

翌日から 私と母は 父の死亡診断書をもらいに行ったり、弁護士事務所で破産手続きをしていきました。

私は 忌引きで会社を休んでました。

毎日 ホテル、弁護士事務所、母と二人の生活をしてると 生きていくことが 罪のような気がしてきました。

父を死なせて 私が生きてていいのか。

これが終わったら 死のう。これが片付いたら 死のう。

父のところへ 私も行こう。

そればっかり 思うようになりました。

数日後 夜 母に 家に帰りたいと泣かれ、弁護士さんに相談すると、

家に帰っていいとのこと。

破産管財人の名前(弁護士さんの名前)を 書いて 玄関のところに貼っておいて

ということでした。

25日 2回目の不渡りです。事実上の倒産です。

忌引き休みの最後の日、市役所に父の死亡届を出しに行きました。

これで 一区切り。終わった。

いつでも 父のところに行けると思ったとき 私の携帯が鳴りました。

何も知らせてなかった仕事先の人から 普通に仕事の電話でした。

その電話で 我に返りました。

戻るところがあった。

もうちょっと生きてみよう。

 

でも その反面、父の年齢を超えるまで 生きる自信はない。

父が死んだとき 父の年齢は58歳でした。

父だけを死なせて 幸せになんてなれない。

誰かに頼られたり、当てにされると困る。

いつでも父のところに行ける心づもりはしていたい。

だから もう 誰とも結婚もしないし、子供も産まない。

独りでいよう。そしていつでも死ねる準備をしておこう。

そう決意しました。

 

 

父の死

私の父は もうずいぶん前になりますが 亡くなりました。

一応 名目上は 脳梗塞です。

会社にも そう報告してます。

 

が、実は 違います。

 

父は自殺です。

 

当時 うちは商売をしていました。

そのおかげで 私は 公立高校卒業後 お金のかかる女子大の短大に

通わせてもらいました。

さいころからずっと習いごともさせてもらいました。

人並以上の生活もさせてもらってたと思います。

ですが 時代の波は 不況。そのあおりを受けて…。

商売がうまくいかなくなり 借金が増え 負債額は

おそらく4~5,000万だったと思います。

ずっと独り暮らしに反対していた父が 突然OKしてくれました。

実家の近くのハイツのような2LDK

ある程度 引っ越しして父も家を見に来て・・・

でも ほとんど毎日 実家に帰る(笑)

そんな中で たぶん 父と母の間で何度も話しあって 父が死んで その保険金で

私と母が生きていけたらという筋書きになってたんだと思います。

 

3月17日 父が泥酔状態で 首を吊ろうとして失敗し倒れてたところを発見。

病院に搬送。

その日の夜、家族3人で 話しました。

その時 母は 父に 『失敗したらあかんやん』『なんで店の2階になんておるん。』と

泣いてました。

『わしに死ねって言うてんのか』と 二人で 言ってるのを聞いて、そういう風に

話し合ってたのかと確信しました。

私は『もうやめよ。死ぬ必要なんかないやん。』と・・・。

 

18日、翌朝 いつもどおりに父は 出かけました。

『いってらっしゃい』と見送りました。

その後 いつもの時間になっても 父が現れないと 父の弟から連絡があり、

どこに行ったかなんて検討もつかず・・・。

父は死に場所を探してたんでしょう。

私が何度も携帯に電話をかけ、何度目かに 父が出ました。

『もしもし?どこにおるん?もしもし』と 言うと切れました。

もう一度 かけたら 電源が切られてました。

私の声を聞いたら、私と会話したら、私が引き止めたら、

決心が鈍ると思ったんでしょう。

おそらく その電話の直後 目に入った場所の最上階に上がり、

飛び降りたんだと思います。

 

警察から電話があり、母と一緒に警察に向かう間 車の後部座席でずっと

『パパ、パパ』とつぶやいてました。

警察の遺体安置所で見た父の顔は キレイでした。

大阪市内のとあるマンションの12階から飛び降りたそうです。

なぜ その場所だったのか わかりません。

私たち家族にとっては 縁もゆかりもない場所だったので。

ただ 思うのは、桜が大好きだった父。桜の花がたくさん咲く場所に

自然と向かったのか 最後に桜を見たかったのか。

死因は 飛び降りた際の 内臓破裂

私たちが行ったときは すでに解剖後でした。

顔に傷は 全くありませんでした。

楽になったのか、ほっとしたのか・・。

 

遺体を確認後、持ち物も確認し、外に出ると 血まみれの父の服がありました。

その時は持ち帰ることもできなくて、ただただ 血まみれの服を見て

泣くことしかできませんでした。

警察からは 誰かと争った跡がないかとか確認することがあると言われました。

遺書らしきものが所持品の中にあったのと 12階の廊下に父の靴が揃えてあったので

ほぼ自殺で間違いないと。

私と母の中では 自殺やで、間違いなくと思ってましたが。

警察の人は 何か事件がないかと聞きにきた新聞社の人に 『何もない』と

言ってくれました。

その日は それで帰宅しました。

翌日 父の遺体を そのまま近くの葬儀場に送ると言われました。

父は 母に 近所の人の目があるから、家に戻すなと言ってたらしいです。

それが本心だったのかどうかは 分かりません。

家族3人で暮らしてた家に戻りたくないわけないと思いますが。

3人で幸せに暮らしてた場所ですから・・・。

 

警察で 父が飛び降りた際、マンションの溝のふたを破損してしまい、それを

弁償しないといけないので そのマンションの管理人さんを訪ねてほしいと

言われました。(そんなリアルな話、今するのねと思いましたが。)

この直後から 落ち込んでる暇も泣き崩れてる暇もないくらい 忙しくなりました。

父の人生はここで終わりましたが 残された私たちは このあとも生きていかないといけないのです。

 

悲しんでる間もないくらい目まぐるしく動いていきました。

 

私が決めたこと

父の死で 決めたこと。

18年ほど前に 父は亡くなりました(亡くなった内容は次回)

その時に 私が決めたこと。

 

結婚はしない

一生 独りで生きていく

 

なぜ そう決めたのかも  またこの次にするとして・・・。

 

そう決めてから 出会う人は ほぼみんな既婚者ばっかり

でも私は結婚しないので 既婚者でも OK というスタンス

その後 家(マンション)購入、母のけが、母の病気と

ますます結婚から遠のくことばかり・・・

 

13年も続いてる いわゆる不倫の関係のA男くんは とても大切にしてくれる。

それでも ちょっと浮気心が出て これまた 不倫の関係になったB男くん。

このB男くんに振り回されて 身も心も 疲れ果てて・・・。

 

そんな時に 出会った本

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この2冊の本で はた!と気づき 

 

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この2冊の本で 目覚めました。

 

今 ある状況や人を 無しにして 自分の状況を ゼロと仮定して

将来 自分が どうなっていたいかを考えて 出た答え。

 

それが 結婚でした。

 

私は 一人っ子で 兄弟もいない。

父方、母方ともに 親戚とも疎遠。

なので 兄弟の多い、友達の多い人と結婚して たくさんの人に囲まれたい。

毎日 誰かと過ごしたい。誰かの帰りを待ちたい、待っててほしいと思ったのです。

 

私 50歳になりました。

今まで お気楽に やりたいことやって暮らしてたのに 何を今さら…。

そんなこと簡単にできるわけがないと思われて当然。

そんなに甘くないと言われても当然。

結婚が幸せだとは 限らない。

不倫なんて 続けてきた人間が幸せになれるわけがないと思われて当然。

どう思われても いいんです。

だって 私が 結婚しよう!と 決めたので。

 

そう!私が決めたことは

13年続いてる不倫の関係をやめる。

そして 結婚する!

 

 そう決めました。

今年中に結婚します。

誰かは決まってません。

今から出会うのか、すでに出会ってるのか わかりません。

でも 決めました。覚悟だけは できました。

 

もっと幸せになる!

初めまして。

今年 50歳になりました。

今までいろいろとありまして いまだ独身です。

でも 今年 ふと思ったのが 『私、もっと幸せになっていいんだ!』

そして、『もっと幸せになろう!』と 決めました。

 

それには 自分が今までいろいろあって 心に溜め込んでたものを

受け入れようと思いまして・・・。

書くことで 受け入れられるかどうかは わからないけど、

隠してきたことを 自分で 再確認しようと思います。

 

まずは ほぼ 20年ほど前。父の死から 遡っていきますか。