もっと 幸せになろう

もっと幸せになると決めてから 今まで自分の中で受け止めきれなかったことを 書いておこうと思います。

父の死

私の父は もうずいぶん前になりますが 亡くなりました。

一応 名目上は 脳梗塞です。

会社にも そう報告してます。

 

が、実は 違います。

 

父は自殺です。

 

当時 うちは商売をしていました。

そのおかげで 私は 公立高校卒業後 お金のかかる女子大の短大に

通わせてもらいました。

さいころからずっと習いごともさせてもらいました。

人並以上の生活もさせてもらってたと思います。

ですが 時代の波は 不況。そのあおりを受けて…。

商売がうまくいかなくなり 借金が増え 負債額は

おそらく4~5,000万だったと思います。

ずっと独り暮らしに反対していた父が 突然OKしてくれました。

実家の近くのハイツのような2LDK

ある程度 引っ越しして父も家を見に来て・・・

でも ほとんど毎日 実家に帰る(笑)

そんな中で たぶん 父と母の間で何度も話しあって 父が死んで その保険金で

私と母が生きていけたらという筋書きになってたんだと思います。

 

3月17日 父が泥酔状態で 首を吊ろうとして失敗し倒れてたところを発見。

病院に搬送。

その日の夜、家族3人で 話しました。

その時 母は 父に 『失敗したらあかんやん』『なんで店の2階になんておるん。』と

泣いてました。

『わしに死ねって言うてんのか』と 二人で 言ってるのを聞いて、そういう風に

話し合ってたのかと確信しました。

私は『もうやめよ。死ぬ必要なんかないやん。』と・・・。

 

18日、翌朝 いつもどおりに父は 出かけました。

『いってらっしゃい』と見送りました。

その後 いつもの時間になっても 父が現れないと 父の弟から連絡があり、

どこに行ったかなんて検討もつかず・・・。

父は死に場所を探してたんでしょう。

私が何度も携帯に電話をかけ、何度目かに 父が出ました。

『もしもし?どこにおるん?もしもし』と 言うと切れました。

もう一度 かけたら 電源が切られてました。

私の声を聞いたら、私と会話したら、私が引き止めたら、

決心が鈍ると思ったんでしょう。

おそらく その電話の直後 目に入った場所の最上階に上がり、

飛び降りたんだと思います。

 

警察から電話があり、母と一緒に警察に向かう間 車の後部座席でずっと

『パパ、パパ』とつぶやいてました。

警察の遺体安置所で見た父の顔は キレイでした。

大阪市内のとあるマンションの12階から飛び降りたそうです。

なぜ その場所だったのか わかりません。

私たち家族にとっては 縁もゆかりもない場所だったので。

ただ 思うのは、桜が大好きだった父。桜の花がたくさん咲く場所に

自然と向かったのか 最後に桜を見たかったのか。

死因は 飛び降りた際の 内臓破裂

私たちが行ったときは すでに解剖後でした。

顔に傷は 全くありませんでした。

楽になったのか、ほっとしたのか・・。

 

遺体を確認後、持ち物も確認し、外に出ると 血まみれの父の服がありました。

その時は持ち帰ることもできなくて、ただただ 血まみれの服を見て

泣くことしかできませんでした。

警察からは 誰かと争った跡がないかとか確認することがあると言われました。

遺書らしきものが所持品の中にあったのと 12階の廊下に父の靴が揃えてあったので

ほぼ自殺で間違いないと。

私と母の中では 自殺やで、間違いなくと思ってましたが。

警察の人は 何か事件がないかと聞きにきた新聞社の人に 『何もない』と

言ってくれました。

その日は それで帰宅しました。

翌日 父の遺体を そのまま近くの葬儀場に送ると言われました。

父は 母に 近所の人の目があるから、家に戻すなと言ってたらしいです。

それが本心だったのかどうかは 分かりません。

家族3人で暮らしてた家に戻りたくないわけないと思いますが。

3人で幸せに暮らしてた場所ですから・・・。

 

警察で 父が飛び降りた際、マンションの溝のふたを破損してしまい、それを

弁償しないといけないので そのマンションの管理人さんを訪ねてほしいと

言われました。(そんなリアルな話、今するのねと思いましたが。)

この直後から 落ち込んでる暇も泣き崩れてる暇もないくらい 忙しくなりました。

父の人生はここで終わりましたが 残された私たちは このあとも生きていかないといけないのです。

 

悲しんでる間もないくらい目まぐるしく動いていきました。