もっと 幸せになろう

もっと幸せになると決めてから 今まで自分の中で受け止めきれなかったことを 書いておこうと思います。

現実

19日 お通夜。

家族だけの密葬でした。

お金が絡むと兄弟も 揉めるんですね。

母からは 父が兄弟のところにも お金を借りに行ったと聞かされてました。

正確には お兄さん、お姉さんです。

弟は一緒に働いてましたので。

そのお兄さんたちに 虫けら、ゴキブリ扱いされたと言ってました。

弟夫婦からは 未払いの給料のことも言われました。

母は 父の兄弟たちとは 関わりたくないので 話さず、

私が話しを聞くことに。

そして その際 今もお世話になってるUさんが来てくれた。

Uさんに母が 父が死んで 借金が帳消しになって保険金で生きていくみたいなことを話すと Uさんから驚きの返答が・・。

『そんなに簡単なことじゃない。死んだからって借金は帳消しにはならへんで。すぐに弁護士に入ってもらって処理せなあかんよ。』と。

そう。世の中はそんなに甘くない。

死んだからって 何も終わらない。終わらせては くれない。

母に聞くと 街金のようなところからも お金を借りてると。

Uさんは すぐに いい弁護士を手配してもらうから、葬儀が終わったら 家に帰らずそのままどこかに行った方がいいとアドバイスをしてくれました。

お通夜でしたが 母の妹たちにその場をお願いして いったん家に戻り、着替えを取り、お世話になってる近所の方に 父が死んだこと、しばらく家をあけること、もしかしたら 誰かが訪ねてきて 迷惑をかけるかも知れないことを伝えて また 葬儀場へ戻りました。

翌日 葬儀の途中 弁護士の先生に連絡を取り(なかなか連絡が取れなかったけど)、この後の指示をもらいました。

やはり、葬儀後 自宅には 戻らないで、そのまま大阪市内へ出て 翌日の朝いちばんに 事務所に来なさいということでした。

葬儀後 お寺さんに 事情を説明し、必ず何年後かに遺骨をきちんとするので 預かっててもらえるようにお願いし、そのまま 夜逃げ同然のように大阪市内のホテルに泊まりました。(後になって お寺さんは あんな夜逃げ同然に 遺骨も預けていったのは 後にも先にもはじめてやったわと笑い話にしてくれてました)

 

21日。弁護士事務所に行って 弁護士さんにいろいろと説明中、父の携帯が鳴る。

20日の支払いは しなくていいと弁護士に言われたので、入金がない取引先の会社の人たちからの電話。

父が死んだこと、弁護士から後日 連絡が行くことを それぞれに説明していく。

父の未払いのせいで 連鎖倒産する会社も出てくるかも知れない。

でも そんなことは言ってられない。

ただただ お世話になってきた おじさんたちには 申し訳ない。 

けっきょくは 母が 全て相続し、私や父の兄弟 全ての人たちに遺産放棄の手続きをしてもらい、母は 破産宣告する。

翌日から 私と母は 父の死亡診断書をもらいに行ったり、弁護士事務所で破産手続きをしていきました。

私は 忌引きで会社を休んでました。

毎日 ホテル、弁護士事務所、母と二人の生活をしてると 生きていくことが 罪のような気がしてきました。

父を死なせて 私が生きてていいのか。

これが終わったら 死のう。これが片付いたら 死のう。

父のところへ 私も行こう。

そればっかり 思うようになりました。

数日後 夜 母に 家に帰りたいと泣かれ、弁護士さんに相談すると、

家に帰っていいとのこと。

破産管財人の名前(弁護士さんの名前)を 書いて 玄関のところに貼っておいて

ということでした。

25日 2回目の不渡りです。事実上の倒産です。

忌引き休みの最後の日、市役所に父の死亡届を出しに行きました。

これで 一区切り。終わった。

いつでも 父のところに行けると思ったとき 私の携帯が鳴りました。

何も知らせてなかった仕事先の人から 普通に仕事の電話でした。

その電話で 我に返りました。

戻るところがあった。

もうちょっと生きてみよう。

 

でも その反面、父の年齢を超えるまで 生きる自信はない。

父が死んだとき 父の年齢は58歳でした。

父だけを死なせて 幸せになんてなれない。

誰かに頼られたり、当てにされると困る。

いつでも父のところに行ける心づもりはしていたい。

だから もう 誰とも結婚もしないし、子供も産まない。

独りでいよう。そしていつでも死ねる準備をしておこう。

そう決意しました。